「ビタミンB」という概念の変遷とビタミンB研究委員会の研究領域

柴田克己1,稲垣賢二2

1滋賀県立大学名誉教授,ビタミンB研究委員会前委員長(2018年度〜2021年度)

2岡山大学名誉教授&特任教授,ビタミンB研究委員会委員長(2022年度〜現在)

 


はじめに

本稿は“ビタミンB研究委員会の歴史”と「ビタミンB」という概念の変遷”を解説することを介して,現在(202311月)の“ビタミンB研究委員会の研究領域”を提言したものである.本研究委員会の研究領域は,当初は「病原菌なき難病」の一つである脚気を征服するための食べ物に関する研究が中心であった「現象論的研究」,ビタミンB1の発見と単離を中心とする「実体論的研究」,さらに,ビタミンB1の生化学を中心とする「本質論的研究」レベルとなってきた.そのため,現在は, ビタミンB1と同じような機能を有する物質すべてを包括するようになった.具体的には,後述するように,酵素に結合することにより生体機能を発揮させる微量栄養素であるビタミンばかりでなく,同様な機能を有するバイオファクターをも包括する研究領域に広がってきた.

なお,この提言は,2019年度ビタミンB運営小委員会(稲垣賢二,鏡山博行,北吉正人,柴田克己(座長),左右田健次,中野長久,吉村徹)で話し合った内容を基にし, 2022624日に開催された第467回ビタミンB研究協議会での発表と討論を踏まえて作成した.

 

1.ビタミンB研究委員会ができるまでの歴史

ビタミンB研究委員会の歴史をさかのぼると,森林太郎(1862年〜1922年)が,1908年(明治41年)勅令第139号をもって,脚気研究者を広く集めて,臨時脚気病調査会を発足させたことにはじまる.森は1922(大正11),60歳で死去したが,この臨時脚気病調査会は1924年(大正13年)に勅令第290号によって廃止されるまで継続した1).この調査会の主な成果は,1908年(明治41年)のオランダ領インド(現在のインドネシア)における脚気(現地では脚気のことをberiberiと呼んでいた)調査,1921年(大正10年)のヒト大規模ビタミンB欠乏実験,1924年(大正13年)の人類脚気はビタミンB欠乏であることを認めたことである.

「臨時脚気病調査会」は,1925年(大正14年)に,島薗順次郎(1877年〜1937年)を中心として「脚気病研究会」と名を変え,島薗が60歳で死亡した1937年(昭和12年)まで続いた.主な成果は,1932年(昭和7年)に,オリザニン結晶(ビタミンB1の純結晶)が脚気に特効があることを証明したことと,1934年(昭和9年)に潜在性脚気という概念を提出したことである.

1937年で中断されていた「脚気病調査会」は,1944年(昭和19年)1116日「ビタミンB1連合研究打合会(委員長は久野寧,1882年〜1977)」として復活した(現在のビタミンB研究協議会の回数は,この集まりを第1回としたもの).この会が復活したのは海軍において,絶滅したと思われていた脚気の発生が,再び著しく増大したためである.ビタミンB1の作用・必要量・使用方法,米ぬか中ビタミンB1の製剤化,ビタミンB1の化学合成などを研究目的にした.この「ビタミンB1連合研究打合会」は,「ビタミンB1連合研究会」,「ビタミンB1研究特別委員会」,「ビタミンB研究特別委員会」,「ビタミンB総合研究委員会」,そして「ビタミンB研究委員会」と名を変え,現在に至っている.現在の「ビタミンB研究委員会」の委員は,医学,薬学,理学,農学,工学,家政学などを含む幅広い学際的な研究者を集めた研究委員会である.

同種の研究委員会として,「脂溶性ビタミン総合研究委員会」,「ビタミンC研究委員会」がある.これらの研究委員会も,理系学部出身の研究者をすべて網羅した学際組織で,世界に類を見ない,日本独自の研究会であり,世界のビタミン研究をリードしている.

 

2.「ビタミンB」とは

2-1.歴史

2-1-1.高木,エイクマン,フレインス,ホプキンスの業績

 ビタミン発見の歴史をさかのぼると,東洋の米食民族に多発していた脚気の原因解明の研究にたどり着く.海軍軍医であった高木兼寛(1849年〜1920年)は,1882年〜1884年(明治15年〜17年)軍艦乗務員の食べ物を和食から洋食に切り替えることにより脚気の発生が防止できることを発見した2,3).この事実により,高木は,脚気は栄養障害(高炭水化物食によるタンパク質不足が脚気の原因と考えた)によっておこるという説を発表した.この高木の成果により,海軍では,脚気がほとんど撲滅された.しかしながら,高木の成果は,陸軍や一般社会では,受け入れられず,日本での脚気患者は増加していった.陸軍では日清(1894年〜1895年)・日露戦争(1904年〜1905年)において,「陸軍脚気大量発生事件」が起きた.明治時代,ジャカルタでも脚気が流行していた.脚気(ジャカルタでは脚気のことを「ベリベリ」と呼んでいた)を調査するためにオランダからジャカルタに派遣されていた海軍軍医のエイクマン(Christiaan Eijkman, 1858年〜1930年)は,1890年代,ニワトリを白米で飼育すると脚気のような症状となることを見出し,この症状は米ぬかを与えると治癒することを発見した4,5).エイクマンは,「精白米に含まれている毒素が米ぬかに含まれている物質によって無毒化される」,という説を提唱した.エイクマンの仕事を引き継いだフレインス(Gerrit Grijins, 1865年〜1944年)は,研究を重ねるにつれて,エイクマンの実験結果は再現性があるが,その解釈は間違っていると主張した.フレインスは,1901年に,「精白米には,健康を維持するために必要な成分が欠如しており,米ぬかには健康を維持するために必要な成分が含まれている」と説明した6).フレインスは,「脚気は中枢神経組織の代謝機能にとって重要な役割を果たす物質が精白米に欠如しているために起こるのである」,と結論づけた.エイクマンは当初,フレインスの解釈を受け入れることができなかったが,後に,フレインスの解釈を受け入れた.5年後の1906年,ホプキンス(Sir Frederick Gowland Hopkins, 1861年〜1947年)のラットの生育実験が口頭で紹介された.正式な報告は1912年となる7).ホプキンスは,幼若ラットの正常な生育に必要な化学物質として,多量栄養素と塩分以外に牛乳に含まれている化学物質が必須であることを示した.ホプキンスは,牛乳に含まれているこの化学物質に対してAccessory factors(補助因子)という名前を付けた.この二つの(エイクマンのニワトリ実験とホプキンスのラット実験)流れを受けて,世界中の科学者が食品に含まれる脚気の有効因子の単離に取りかかった.

2-1-2.鈴木,フンクの業績

 最初の成果は,1911年の鈴木梅太郎(1874年〜1943年)の米糠からのアベリ酸(anti-beriberi acidという意味で日本語では抗脚気酸という意味)の単離である8).なお,鈴木の口頭発表は19101213日に行われているので,日本ではこの日を「ビタミンの日」としている.ところが,鈴木の発表は日本語であったので,国際的にはこの情報は伝わりづらかった.1911年になると,フンク(Casimir Funk, 1884年〜1967年)は米糠からハトの脚気を治癒する抗脚気因子を単離したと発表した9).その抗脚気因子はアミンを含んでいたので,フンクは「生命を保つのに必要なアミンという意味の「vital + amine」を縮小して「Vitamine」と名付けた.1913年になると鈴木は,「アベリ酸」を「オリザニン」(米の学名Oryza sativaにちなんで改名)と名前を変えて発表した10)

2-1-3.マッカラムとドラモンドの業績

1915年,マッカラム(Elmer Verner McCollum1879年〜1967年)は,動物の正常な生育に不可欠な未知因子を未同定食事因子(unidentified dietary factors)と呼び,バター脂中に存在する成長促進因子を脂溶性Afat-soluble A)ととなえ,粗製乳糖などに存在する成長促進因子,抗麻痺性因子を水溶性Bwater-soluble B)ととなえた11)1918年,多量栄養素と塩分を含む精製食に脂溶性A,水溶性Bを含む飼料でモルモットを養うと壊血病となり,オレンジの皮の白い部分の酸性エキスを補給すると壊血病が防げることが報告された. 1919年,ドラモンド(Sir Jack Cecil Drummond, 1891年〜1952年)はこの抗壊血病因子を水溶性Cと呼ぶことを提案した12).こうして微量不可欠因子には多元性のあることが明らかとなってきた.そして,1920年,ドラモンドは図1に示したような提案をした13)


図1.1920年「ビタミン」という名称と「ビタミンB」という名称の誕生

 


ドラモンドの提案通り,ビタミンA(牛乳バター脂中に存在する成長促進因子,肝油中の角膜乾燥症を予防する因子),ビタミンB(牛乳粗製乳糖,米ぬかなどに存在する成長促進,抗麻痺性因子.抗脚気因子),ビタミンC(オレンジの皮の白い部分の酸性エキスに存在する抗壊血病因子),ビタミンD1920年,ドラモンドが当時ビタミンAと呼ばれていた物質から空気を通じながら加熱してもビタミンAとは違って抗クル病因子活性が失われず,また紫外線に対する態度も明らかにAと異なるため,ビタミンDと名付けられた),ビタミンE(小麦胚芽油,レタスなどに存在する胎児の死亡を予防する因子),と順調に名付けられていった.

2-1-4.ビタミン命名法の混乱

ところが,ビタミンBは,その後の研究で単一物質ではなく複合物であること,ビタミンBの多元性が明らかとなってきた.1926年,シャーマン(Henry Clapp Sherman, 1875年〜1955年)は,熱に不安的な抗脚気因子をビタミンF,熱に安定な方の因子をビタミンGとよぶことを提案した.FGはアルファベット順であると同時に,FFunkの頭文字,G1925年に,牛乳や肉中に抗ペラグラ因子が存在することを発見したゴールドバーガー(Joseph Goldberger1874年〜1929年)の頭文字をあらわしているとのことであった.ところが,ビタミンFの名称は,後に必須脂肪酸に用いられてしまい,シャーマンの提案した意味には用いられなくなってしまった.このような経緯で,結局,ビタミンBという名称は残った.

ビタミンGの方は一時期米国において採用された.しかし,1927年英国の医学研究会議の副栄養素委員会およびビタミン研究者の会が,熱に不安的な抗脚気因子をビタミンB1,熱に安定な方の因子をビタミンB2の名称を用いることを決めた.その後,ヨーロッパ諸国も英国が提案した呼び方を受け入れた.ここで,ドラモンドの提案した規則を守ることが怪しくなってきた.結局,英国・ヨーロッパの命名方法が世界中で使われるようになった.「ビタミンB」は,ビタミンB1(抗脚気因子で熱に不安的な因子)とビタミンB2(熱に安定で,動物の成長促進作用を有する因子)からなるという概念になった.

ところが,さらに研究が進展してくると,成長促進作用を有するビタミンB2が複数の化合物から成ることがわかってきた.そこで,一時期,「ビタミンB2複合体」という名前が使われるようになった.このように,「ビタミンB」が「ビタミンB1」と「ビタミンB2」に分けられ,さらに「ビタミンB2複合体」から複数のビタミンが単離・発見されてきた.命名は,1927年に英国の医学研究会議の副栄養素委員会およびビタミン研究者の会が提案した「ビタミンBx」という方式が採用されて,「ビタミンB2複合

 

図2.ビタミンBの多元性

 

 

体」から,単離・発見された順にビタミンB2B3B4B5という名前が付けられていった.図2にビタミンBの多元性に関する情報をまとめた.

なお,1948年ビタミンB12が発見されて以来,新しいビタミンの発見の報告はない.

現在のところ(202210)ビタミンBから単離された8種類の化学物質が「B群ビタミン(後述の「3.B群ビタミンという呼称の誕生」を参照)」として認められている.常用名(かっこ内はビタミン名)でいうと,チアミン(VB1),リボフラビン(VB2),ナイアシン(VB3),パントテン酸(VB5),ピリドキシン(VB6),ビオチン(VB7),葉酸(VB9),コバラミン(VB12)である.ビオチンをビタミンH,葉酸をビタミンMと呼ぶことが提案されたこともあった.VB1VB2VB6VB12という名称は,今でもよく使用されているが,VB3VB5VB7VB9という名称は今ではあまり目にすることはなくなった.

2-1-5.「ビタミン”X”」という呼称をやめよう,でもやめづらい

ビタミンの命名法が,ドラモンドが提案した規則通りにはいかなくなった.そこで,ビタミンの発見ラッシュが終わった1950年代に,「ビタミン”X”」という呼び方をやめて,常用化学名で各ビタミンを呼ぼうという提案があった.ところが,科学の進歩で,化学構造式が若干異なっていても同じ生理作用を示す物質が発見されてきたこと,および天然界に存在するビタミンよりも生理活性の高いビタミンを化学合成することができるようになったこと,さらに,ビタミンの知識の普及活動においても,「ビタミン”X”」という名称が捨てがたくなってきた.このようなことで,「ビタミン”X”」というビタミン名と,常用名で呼ばれるビタミンが,8種類の「ビタミンB」の中で混在してしまった.上述のように,ナイアシンはVB3,パントテン酸はVB5,ビオチンはVB7,葉酸はVB9と称されたビタミンであるとされている.「ビタミン”X”」は,生理活性を表す名称である.使用例としては,「ナイアシン活性を有する代表的な化合物にニコチンアミドとニコチン酸がある」,「パントテン酸活性を有する代表的な化合物にパントテン酸やパンテチンがある」,「ビオチン活性を有する代表的な化合物にビオチンがある」,「葉酸活性を有する代表的な化合物に葉酸と5-メチルテトラヒドロ葉酸がある」,というような文章である.少しおかしな感じがする文章となる.ビタミン活性を表す時は,常用名はやめた方が使いやすい.「VB3活性を有する代表的な化合物にニコチンアミドとニコチン酸がある」,「VB5活性を有する代表的な化合物にパントテン酸やパンテチンがある」,「VB7活性を有する代表的な化合物にビオチンがある」,「VB9活性を有する代表的な化合物にプテロイルモノグルタミン酸と5-メチルテトラヒドロプテロイルモノグルタミン酸がある」という文章である.

すると, B1, B2, B3, B5, B6, B7, B9, B12と並ぶ.「添え字は連続していないですね」,という質問を受ける.抜けた数字は,他の研究者が認めてくれなかった,既知の化合物であったり,体内で合成可能な化合物であったり,そして幻であったとして消え去った「ビタミンBx」があったからである.例えば,VB4は必須アミノ酸の混合物であったらしい.

VB12で,「ビタミンB」という複合物からのビタミンの発見が終わったように思われているが,B13(オロット酸),B14(化学名は不明),B15(パンガミン酸)を発見したという研究報告もある.

横道にそれるが,脂溶性ビタミンにおいては,添え字が異なっても,同じ生理作用を示す.

VA活性」を有する化合物はレチノール系列をVA1系列,3-ヒドロキシレチノール系列をVA2として,区別している.

VDにおいては,抗クル病因子として,最初に結晶化された化学物質をVD1と称したが,この物質はエルゴカルシフェロール(VD2)とルミステロールとの付加化合物であることが判明し,VD1という名称は廃棄された.コレカルシフェロールはVD3と呼ばれている.

VE活性」を有する化合物は,以前にはα-,β-,γ-,δ-トコフェロール,すべてにVE活性があるとされたが,現在ではα-トコフェロールのみを指す.

VK活性」を有する化合物は複数知られているが,代表的なものはフィロキノン(K1)とメナキノン-nK2)である.

 

3.「B群ビタミン」という呼称の誕生

話を「ビタミンB」に戻す.マッカラムが牛乳から単離したというWater-soluble Bをドラモンドが「ビタミンBと名付けたが,多元性が明らかとなった.さらに,対象も牛乳のみから食品全般となり,精製・単離方法も進歩して,複雑化してきた.新しく単離・発見された化合物が,本当に,マッカラムが牛乳から単離したというWater-soluble B,ドラモンドが「ビタミンBと呼んだ化合物に属するのかわからなくなってきた.

そこで,1950年代に,ビタミン活性を有する既知の13種類の化合物で,化学構造の中にN(窒素)を含むものを「ビタミンBB群ビタミン」と呼ぼうという提案があった. 新しいビタミンのサブグループ「B群ビタミン」が誕生した.

ビタミンの化学構造式(図3)をみると,アミノ酸類,糖類,脂肪酸類と異なり,共通の官能基はいっさいない.


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図3.ビタミンの構造式

丸の部分はN(窒素)原子である.各構造式の横に示した数値は,成人の必要量の概数である.厚生労働省が策定している日本人の食事摂取基準では,「欠乏症を予防するに足る最低摂取量を必要量という」と定義されている.

 


元素レベルでみると,脂溶性ビタミンはC(炭素),H(水素),O(酸素)だけである.水溶性ビタミンでもVCCHOのみである.図3には,成人の1日当たりの必要量の概数も示した.8種類のB群ビタミンの合計は約25 mgである.

 

4.B群ビタミンは,酵素の補因子(補酵素,補欠分子族) → 酵素の補因子の前駆体 → 酵素の共同因子の前駆体

さらに,1960年代,研究が進展してくると,B群ビタミンはすべて酵素タンパク質と結合して酵素活性発現のコアとなる成分として機能していることがわかってきた.酵素活性発現において,非タンパク質成分は補因子と呼ばれている.一般的には,酵素とゆるく結合している成分を補酵素,しっかりと結合している成分を補欠分子族と呼んで区別している.しかし,よく考えてみると,「補」という日本語は適切ではない.活性を発現するのに,タンパク質部分が「主」で,非タンパク質成分が「補」ではない.酵素活性の発現にはタンパク質成分も非タンパク質成分も等しく必須な成分である.なお,英語では,coenzymecofactorsが使用されている.「co」は「共同」という意味なので,日本語は共同酵素,共同分子族となっていても良かった.良い用語が望まれる.

8種類のB群ビタミンの活性型はThDPVB1), FMNFADVB2),NAD+NADP+VB3),ホスホパンテテイン・CoAVB5),PLPVB6),カルボキシ化されたビオチン(VB7), 5-メチルテトラヒドロプテロイルポリグルタミン酸・5,10-メチレンテトラヒドロプテロイルポリグルタミン酸・5,10-メテニルテトラヒドロプテロイルポリグルタミン酸・5-ホルミルテトラヒドロプテロイルポリグルタミン酸・10-ホルミルテトラヒドロプテロイルポリグルタミン酸・5-ホルムイミノテトラヒドロプテロイルポリグルタミン酸(VB9),アデノシルコバラミン・メチルコバラミン(VB12)である.これらの8種類のB群ビタミンの活性型の中で,複数の酵素の共同基質として機能しているものが,3種類ある.それは,VB3VB5VB9である.残りの6種類は,酵素タンパク質の活性中心に結合している形で機能している.つまり,VB3VB5VB9由来の活性型を補酵素,残りのVB1VB2VB6VB9VB12由来の活性型を補欠分子族というのが,正しい呼び名であろうが,我々は正しく区別して使っていない.区別がむつかしいからである.例えば,S-adenosylhomocysteine hydrolase EC 3.13.2.1),urocanaseEC 4.2.1.49)やUDP-glucose 4-epimeraseEC 5.1.3.2)は活性中心にNAD+を結合している.脂肪酸の生合成に必要なアシルキャリアプロテイン(ACP)の活性部位はホスホパンテテインである.VB9については,酵素の活性中心に結合しているという報告はない.

B群ビタミンは,「活性型ビタミン=酵素の共同因子の前駆体」であるという概念に変化してきた.B群ビタミンは酵素タンパク質と共同して活性を発現する因子の前駆体である.つまり,共同因子を利用する酵素に関する広範な研究を通じて,共同因子の前駆体であるB群ビタミンの欠乏症の発症機構と治療方法が明らかになることが期待され,この酵素-共同因子の複合体を基本軸とした研究領域が主要な柱になってきた.すると,VB2VB3由来の共同因子-酵素複合体を必要とする脂肪酸の代謝・脂溶性ビタミンの代謝も研究対象となってきた.各々のB群ビタミンがどのようにして共同因子に生合成されるかも研究領域に入ってきた.同時に,ヒトには存在しないが,ビタミンそのもののde novo 生合成経路にも関心が広がってきた.忘れてはいけない研究領域は,まだ,B群ビタミンに属する未発見の酵素の共同因子があるという好奇心である.勇気をもって挑戦したい.

 

5.B群ビタミン以外の既知の酵素の共同因子の前駆体〜ビタミンC,ビタミンK, ミネラル〜

ビタミンKの機能は酵素の共同因子の前駆体である.共同因子はヒドロキノン型のメナキノールとフィロキノールである.酵素名はγ-glutamyl carboxylase[EC 4.1.1.90],別名として,peptidyl-glutamate 4-carboxylasevitamin K-dependent carboxylaseがある.反応は, a protein-Glu-proteinphylloquinolCO2O2 → protein-Gla-protein2,3-epoxyphylloquinoneH2O)である.ビタミンCにも酵素の共同因子としての機能がある.一例として,domamine β-monooxygenase [EC 1.14.17.1])がある(dopamine2 ascorbateO2 → L-noradrenalin2 monodehydroascorbateH2O).

ビタミンと並ぶもう一つの微量栄養素である8種類の微量ミネラル(Fe, Zn, Cu, I, Mn, Mo, Se, Cr)の生化学作用の研究も進展してきた.例えば,ヨウ素はチロシンと結合して甲腺ホルモンとして機能しているが生合成はチログロブリンというタンパク質中のチロシン残基でヨード化が起こることからはじまる,セレンはセレノシステインとなり酵素の活性中心に組み込まれる.鉄−硫黄クラスターを含む酵素・フェレドキシン・電子伝達鎖のタンパク質など,ヘム鉄を含む酵素,モリブデンを含むMoco依存性酵素,亜鉛依存性酵素,銅依存性酵素,マンガン依存性酵素,クロムはクロモジュリンというタンパク質と結合してインスリンの作用を増強するなど,酵素タンパク質と結合して機能を果たしていることがわかってきた.これらは,いずれも酵素の共同因子の前駆体である.

8種類の微量ミネラルはすべて必須栄養素である.成人の1日当たりの必要量の概数は,鉄が10 mg,亜鉛が10 mg,マンガンが5 mg,銅が1 mg,ヨウ素が100 µg,モリブデンが30 µg,セレンが30 µg,クロムが10 µgである.

 

6.生合成可能な酵素の共同因子の前駆体〜バイオファクター〜

生合成可能な酵素の共同因子として,

バイオファクターの@α-リポ酸,Aテトラヒドロビオプテリン(BH4),B補酵素QCoQ),Cビルトイン型補因子化合物(ピルビン酸,3,5-ジヒドロ-5-メチリデン-4H -イミダゾール-4-オン(MIO),トパキノン(2,4,5-トリヒドロキシフェニルアラニルキノン(TPQ),リジルチロシルキノン(LTQ),チロシルチオエーテル)14),DUDP-グルコース,UDP-ガラクトース,UDP−キシロース,UDP--アセチルグルコサミン,UDP--アセチルガラクトサミンUDP-グルクロン酸などのUDP-糖(糖ヌクレオチド),ECDP-コリン,CDP-エタノールアミン,CDP-ジアシルグリセロール,CMP-N-アセチルノイラミン酸,などのCDP系化合物等がある.

 

@ 内因性由来のα-リポ酸,すなわちα-リポ酸の生合成は,ミトコンドリア内に存在する脂肪酸合成系Uによって, 2-オキソ酸デヒドロゲナーゼ複合体類およびグリシン開裂系のH-タンパク質中の特定のリジン残基をオクタノイル化することで始まり,H-タンパク質上でα-リポ酸が生合成される.前駆体はアセチル-ACP3分子のマロニル-ACPである.

A BH4の直接の前駆体はGTPである15).リボース,グリシン,グルタミン,アスパラギン酸,炭酸水素イオン,10-ホルミルテトラヒドロ葉酸が前駆体である

B CoQはフェニルアラニンとメバロン酸が前駆体である16)

C ビルトイン型補因子化合物の生合成はタンパク質合成後の翻訳後修飾であり14),直接の前駆体は存在しない.

DとE グルタミンのγ-アミノ基,CO2,アスパラギン酸から生合成されるオロチン酸(オロト酸あるいはオロット酸とも呼ばれる.ビタミンB13と称されたこともある)を経由して生合成される.

 

7.現在の「ビタミンB」という概念は「酵素の共同因子の前駆体」

研究の進展により,「ビタミンBは,単に8種類のB群ビタミンの総称名を意味するのではなく,図4に示したように,「酵素の共同因子の前駆体」という概念が成立してきた.

 

 


4.現在の「ビタミンB」の概念図

「ビタミンB」とは酵素の「共同因子の前駆体」という概念である

 



 

8種類のB群ビタミン」,「8種類の微量ミネラル」,「ビタミンC, ビタミンK, 「生合成可能な,酵素の共同因子の前駆体〜バイオファクター〜」,そして,忘れてはならないのが,「未承認および未知の共同因子の前駆体」に関する研究である.

したがって,ビタミンB研究委員会の研究領域は,共同因子依存性酵素に関する研究を基本軸とするように変化してきた.具体的には,共同因子の前駆体の必要量と必要量に影響を与える体内環境因子の解析,前駆体の欠乏症と過剰症,前駆体の体内動態,前駆体から共同因子への生合成経路,共同因子とアポ酵素との結合過程,共同因子の酵素反応における役割・反応機構の解明,共同因子依存性酵素を利用した有用化合物の生産,などが思いつく.こうした研究は,有用物質の生産医薬品の開発だけでなく,環境・エネルギー問題にも有益な成果をもたらしている.

 

おわりに

「ビタミンB = 酵素の共同因子の前駆体」を一つの言葉でいうとしたら,「微量必須因子, micro indispensable biofactors」が良いのかもしれない.その概念は,多くのバイオファクターも含んでおり,微量栄養素よりも広いものとなる.

ビタミンB研究委員会は,生体触媒である酵素タンパク質の活性中心のコアとなる共同因子の前駆体というキーワードのもとで,統合された研究活動と広報活動を行い,寿命の限界まで若年成人の美貌と体力が維持できる方法並びに環境・エネルギー問題解決への方法を提言していきたい.

 

謝辞

 本稿を校閲していただいたビタミン・バイオファクター協会名誉会長でビタミンB研究委員会顧問の左右田健次先生に感謝申し上げます.


 

参考文献

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