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新しい視点で活動する Public Utility Foundation for the Vitamin & Biofactor Society

協会の歴史History

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協会の歴史

臨時脚気病調査会:1908(明治41)年発足

日清(1894〜1895年;明治27〜明治28年)・日露戦争(1904〜1905年;明治37〜明治38年)で大量の脚気患者をだした陸軍省(図1図2)は軍医総監森林太郎(1862〜1922年;文久2〜大正11年)を会長として1908(明治41)年,専門学者を集めて臨時脚気病調査会を設置した(図3).この調査会の主な成果は,1908(明治41)年:蘭領インドにおけるベリベリ調査,1921(大正10)年:ヒト大規模ビタミンB欠乏実験,1924(大正13)年,人類脚気はビタミンB欠乏であることを認めて解散した(図4).なお,1914〜1918(大正3〜大正7)年:第一次世界大戦のため欧米の情報を入手できず,事実上,調査会は中断状態となった.また,1922(大正11)年:森林太郎会長は死去した.

脚気病研究会:1925(大正14)年発足

欧米の新しいビタミン学の進展を知った島薗順次郎(1877〜1937年;明治10〜昭和12年)は,新たな見地から脚気原因の解明研究を行い,1919(大正8)年,伝染病と中毒説を否定し,「脚気ビタミン欠乏説」を唱導した.さらに,1923(大正12)年,大森憲太は「脚気ビタミンB欠乏説」を主張した.そして,1925(大正14)年,島薗と大森との公の論議により,長年葛藤を続けていた日本の脚気原因問題は決着に向かい,脚気ビタミン欠乏説へと移行していった(図5).

1932(昭和7)年には,東大島薗内科の香川昇三(1895〜1945年,明治38〜昭和20年)は,オリザニン結晶(ビタミンB1の純結晶)が脚気に特効があることを報告した.島薗順次郎は,1934(昭和9)年に潜在性脚気という概念を提出した.

この脚気病研究会は,当時の諸般の事情によって,1937(昭和12)年に中絶した.

ビタミンB1連合研究打合会:1944(昭和19)年発足

脚気が撲滅できたと思われた海軍でも脚気が再流行したことおよび陸軍では相変わらず脚気に悩まされていたこと,さらに学問的には解決された脚気であったが,実生活に活用できる状態ではなかったことから,ビタミンB1の作用・必要量・使用法 ,糠中ビタミンB1の製剤化,ビタミンB1の化学合成などを研究目的として,1944(昭和19)年11月16日:ビタミンB1連合研究打合会が発足した.初代委員長は久野寧(1882〜1977;明治15〜昭和52年)であった.以降の歴代委員長は下記の表1のとおりである.

この会は,ビタミンB1連合研究会,ビタミンB1研究特別委員会,ビタミンB研究特別委員会,ビタミンB総合研究委員会,ビタミンB研究委員会と名称をかえて,現在に至っている.

同種の研究委員会として,脂溶性ビタミン総合研究委員会,ビタミンC研究委員会がある.これらの研究会は,理系学部出身の研究者をすべて網羅した学際組織で,世界に類を見ない,日本独自の研究会であり,世界のビタミン研究をリードしている(図6).

公益社団法人 ビタミン・バイオファクター協会:2010(平成22)年発足

1963年11月16日:ビタミンB研究委員会への民間資金の導入を法的に確立するために(社団法人)ビタミンB協会が設立された.初代会長は久野寧である.

1970年には,協会の設立趣意書の趣旨であるすべてのビタミンに関する研究の援助並びに普及に関する事業を行い,持って国民の栄養の維持向上に寄与することにのっとり(社団法人)ビタミン協会と改称した.

2010年には,ビタミンに加え,ビタミン様物質と称されるバイオファクターとこれらに関連する研究の援助並びに普及に関する事業を行い,持って国民の栄養の維持向上に寄与することを目的として(公益社団法人)ビタミン・バイオファクター協会と改称し,現在に至っている(図7).

表2に歴代委員長をまとめた.

表1.臨時脚気病調査会,脚気病研究会,ビタミンB1連合研究会,ビタミンB1研究特別委員会,ビタミンB研究特別委員会,ビタミンB総合研究委員会,ビタミンB研究委員会の歴代委員長
名称(期間:年度) 委員長(任期:年度) 備考
臨時脚気病調査会
(1908〜1924)
森林太郎 森林太郎は1922年に死去.
脚気病研究会
(1925〜1937)
ビタミンB1連合打合会(1944) 久野寧(1939〜1963) 当時,東京,上野の学士院会館に設置されていた学術会議に同会議研究班の医学者13名をメンバーとして招集された(昭和19年11月16日).
第1回
ビタミンB1連合研究会(1944) 久野寧(1939〜1963) 第2回〜8回
ビタミンB1研究特別委員会(1945) 久野寧(1939〜1963) 第9回〜14回
ビタミンB研究特別委員会(1946) 久野寧(1939〜1963) 第15回〜33回
ビタミンB総合研究委員会(1947〜1953) 久野寧(1939〜1963) 第34回〜69回
ビタミンB研究委員会(1953〜現在) 井上硬(1964〜1969)
木村廉(1970〜1973)
山田弘三(1974〜1975)
桂英輔(1976〜1993)
清水祥一(1994〜2005)
左右田健次(2006〜2009)
鏡山博行(2010〜2013)
中野長久(2014〜2017)
柴田克己(2018〜2021)
稲垣賢二(2022〜現在)
第70回〜現在
(令和6年6月7日開催が第475回)
表2.(社団法人) ビタミンB協会,(社団法人)ビタミン協会,(公益社団法人)ビタミン・バイオファクター協会の歴代会長
名称(期間) 委員長(任期) 備考
(社団法人) ビタミンB協会(1963〜1969) 久野 寧(1963〜1977) ビタミンB研究委員会の全活動を支える基盤として設立された.
(社団法人)ビタミン協会
(1970〜2009)
片桐英郎(1978)
木村 廉(1979〜1982)
片桐英郎(1983〜1986)
桂英輔(1987〜1992)
能勢善嗣(1993〜1997)
岩井和夫(1998〜2009)
ビタミンB研究委員会以外の脂溶性ビタミン総合研究委員会及びビタミンC研究委員会への支援,並びに日本ビタミン学会の活動助成にも責任を負うことになった.
(公益社団法人)
ビタミン・バイオファクター協会
(2010〜現在)
岩井和夫
 (2009〜2010)
左右田健次
 (2011〜2016)
鏡山博行
 (2017〜2020)
大島敏久(2021〜現在)
ビタミンに加え,ビタミン様物質と称されるバイオファクターとこれらに関連する研究の援助並びに普及に関する事業を行い,持って国民の栄養の維持向上に寄与することを目的として改称した.
さらに環境・エネルギー問題に関するビタミンとバイオファクターに関連する事業を包括することを目的に加えた.




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